10/23の長崎新聞にスモールステップカフェの開催情報および事務局メンバーの体験談が掲載されました。
記事に掲載されたのは一部でしたので、体験談全文を公開いたします。
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場面緘黙は、特定の場面で一貫して「話したくても話せない」といった症状が一ヶ月以上続く状態を指します。話せないだけでなく、発話以外の行動が抑制される症状が出ることもあります。
私がこの症状に苦しんだのは、主に幼少期から高校時代にかけてのことでした。家庭以外ではほとんど話せませんでした。しかし、その生きづらさに「場面緘黙」という名前があると知ったのは、30代になってからのことです。
私の場合、全く声が出せなかったわけではなく返事や音読などはどうにかできましたが、自ら挨拶をしたり話しかけたり、オープンクエスチョンに答えるといったことはできませんでした。「挨拶をしない」などと陰口を言われたり、「自分から輪に入っていかない」と指摘されたり、少し話せるからこそかえって理解されずにつらい思いをすることが多かったように思います。
学校にいる間は、体が固まって息が詰まるような感覚でした。常に強い不安と緊張を感じていて、思うように動けないこともありました。当時は、なぜそのような状態になるのか自分でもわかりませんでしたが、根底にあったのは自己表現への不安や恐怖だったと思います。
場面緘黙で特に問題なのが、困った時に助けを求めることができない点だと考えます。忘れ物をしても借りることができない、体調が悪くても先生に伝えることができない、手伝ってほしいのに周囲に頼れない。自分の困り事を説明することができないため、苦しんでいることに気付いてもらえないのです。
場面緘黙には、一度「話せない人」と見られてしまうと、その環境では話せなくなってしまうという側面もあります。私も「喋らないね、大人しいね」と言われると、その人の前では「話してはいけない、話すところを見られてはいけない」と感じ、話せない状態が固定されてしまいました。
進学や就職などで環境が変わるたびに、「今度こそは」と思い、少しずつではありますが、話せる場面が増えていきました。しかし、今でも後遺症のようなものはあり、安心できる場面(人・場所・活動)でないと話せないことがあります。また、幼少期~10代の頃に十分なコミュニケーションスキルを養うことができなかったことにより、その後もずっと生きづらさを抱えながら過ごしてきました。
ここ数年で、ようやく人と関わることを楽しいと思えるようになりました。
場面緘黙への理解が進み、生きやすい社会になることを願います。
長崎新聞WEBサイト
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